こんにちは、たけしです。
今回はミスターSASUKE「山田勝己」について紹介します。
「俺にはSASUKEしかないんですよ…」
ただのスポーツバラエティ番組に過ぎないSASUKEに、人生を捧げた男・「山田勝己」。
自宅にセットを制作したり、仕事中にトレーニングをしてリストラされたり、メンタルを鍛えるため滝修行を実施したり、・・・。
SASUKE完全制覇をひたむきに目指す男の、常軌を逸した行動の数々。
いつしか山田は「ミスターSASUKE」と呼ばれるようになります。
そんなミスターSASUKE・山田勝己は、今やバラエティ番組でも活躍するほどの人気者。
SASUKEを最近見始めた視聴者だと、
山田勝己って、SASUKEが好きなおもしろいおじさんでしょ?
程度の認識かもしれません。
断言します。
「現在もSASUKEが続いているのは、間違いなく山田勝己のおかげ」だと。
それほど山田が番組にあたえてきた影響は計り知れないものなのです。
今回は、そんなミスターSASUKE・山田勝己の
プロフィール
SASUKEを始めたきっかけ
SASUKEの経歴
SASUKEにあたえた影響
をまとめて解説します。
ぜひ参考にしてください!
- 山田勝己のプロフィール
- 山田勝己がSASUKEを始めたきっかけ
- 山田勝己のSASUKE経歴
- 初出場時は2ndステージでリタイア
- 第2回大会も2ndステージでリタイア→自宅に自作のセットを制作
- 第3回大会は初のファイナルステージ進出→完全制覇まであと30cmにせまる
- 第4回大会に向けて、クレーン車を借りて綱のぼりの練習
- 第4回大会は3rdステージ新エリアでリタイア
- トレーニングにのめりこみ過ぎて会社からリストラされる
- 第6回大会は3rdステージ・パイプスライダーでゴールマットの横から転落
- 第7回・8回大会は1stステージリタイア→滝修行を敢行
- 第9回大会で「ガムテープ事件」を引き起こす
- 第10回大会は3rdステージでリタイア→伝説の名言が飛び出す
- 第12回大会で伝説の「手袋事件」を引き起こす
- 第13回大会以降は1stステージを一度も突破できず→引退・復帰をくり返す
- 第28回大会で正式に引退を表明
- 引退後に山田軍団「黒虎」を結成
- 第38回大会で電撃復帰
- 山田勝己がSASUKEにあたえた影響
- 山田勝己のSASUKE2022結果はいかに!?
- まとめ
山田勝己のプロフィール
あと3日🔥
ゼッケン3⃣9⃣9️⃣6️⃣番🎄/
『俺にはSASUKEしかないんですよ』
職業SASUKE・人生SASUKE👊
\🥷ミスターSASUKE🥷#山田勝己 さん 57歳
盟友たちが揃う記念大会🎊
背中で魅せる黒虎団長が🐯
団員2人と共に1stステージ突破へ💫#SASUKE40th #SASUKEオールスターズ@k_yamada1965 pic.twitter.com/ncZp3DWcwP— SASUKE TBS公式 (@sasuke_tbs) December 23, 2022
山田勝己プロフィール
生年月日:1965年10月22日(57歳)
出身地:兵庫県加古郡播磨町
身長:175cm
職業:鉄工所社長
愛称:ミスターSASUKE、浪速のターミネーターなど
カラオケの十八番:栄光の架橋
既婚
2児の父
山田勝己の愛称といえば、ご存じ「ミスターSASUKE」。
SASUKEへの熱量があまりに常軌を逸していたために、番組側からつけられた愛称です。
現在では「水曜日のダウンタウン」など、多くの人気番組にも引っ張りだこの山田勝己。
バラエティ番組ではネタ枠としてイジられがちな山田だが、SASUKE界では多くの選手から尊敬されているレジェンド的存在。
山田勝己がいなければSASUKEなんてとっくの昔に打ち切りになっていますし、現在活躍している有力選手は出てきていません。
ミスターSASUKE・山田勝己がSASUKEで残してきた功績がいかに偉大であったか、今回学んでいただければと思います。
山田勝己は「SASUKEオールスターズ」の一員
1997年に放送を開始したSASUKE。
2022年には第40回記念大会が開催されます。
長いSASUKEの歴史の中で、特に初期(1997~2010年頃)に活躍した有力選手たちのことを「SASUKEオールスターズ」と呼びます。
SASUKEオールスターズのメンバーは以下のとおり。
山田勝己
山本進悟
秋山和彦
竹田敏浩
長野誠
白鳥文平
もちろん、山田勝己もSASUKEオールスターズの一員。
なお他のオールスターズメンバーのうち、山本進悟・秋山和彦・長野誠もSASUKE2022に出場します。
3人の詳細は以下の記事にまとめているので、よかったら参考にしてください。
『【SASUKE選手紹介】山本進悟|1stステージで苦しむSASUKE唯一の皆勤賞』
参考【SASUKE選手紹介】山本進悟|SASUKE唯一の皆勤賞が10大会ぶりに1st突破!
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『【SASUKE選手紹介】秋山和彦|弱視と闘い続けたSASUKE初代完全制覇者』
参考【SASUKE選手紹介】秋山和彦|弱視と闘い続けたSASUKE初代完全制覇者
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『【SASUKE選手紹介】長野誠|史上2人目の完全制覇を成し遂げた最強の漁師』
参考【SASUKE選手紹介】長野誠|史上2人目の完全制覇を成し遂げた最強の漁師
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山田勝己がSASUKEを始めたきっかけ
高校時代は野球に明け暮れていた山田勝己。
野球を引退した後は、ジムで体をきたえる程度の運動しかしていなかったそう。
「なにか個人で頑張れば結果が出せるものはないか?」と模索していた山田。
そんなとき、当時人気だったスポーツバラエティ番組「筋肉番付」をテレビで観ていると…
3分間で腕立て伏せの回数を競う「クイックマッスル」の一般募集
「これだ…!」と感じた山田は即応募。
大阪府で開催された予選会を1位で勝ち上がると、全国選手権でも盟友・秋山和彦との激闘を制し準優勝。
そして「クイックマッスル全国選手権」での活躍を評価され、1997年、SASUKE第1回大会へ招待されたのです。
こうして山田勝己とSASUKEは出会ってしまったのです。
のちに自分がSASUKEに人生を捧げるようになるとは、このときは思いもしませんでした…
山田勝己のSASUKE経歴
山田勝己のSASUKE初出場から現在までの、成績をまとめると以下のとおり。
出場回数:30回
2ndステージ進出:10回
3rdステージ進出:4回
ファイナルステージ進出:1回
数字だけを見ると、「意外にたいしたことなくね?」と思う方もいるでしょう。
しかし全盛期の山田は、2nd・3rdステージ進出はあたりまえであり、最優秀成績者も3回獲得しています。
何よりも、山田勝己がSASUKEで成し遂げた功績は、成績だけで語れるものではありません。
これまでに彼がどのような伝説を残してきたのか、詳細を解説します。
初出場時は2ndステージでリタイア
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
1997年、SASUKE第1回大会。
「クイックマッスル全国選手権準優勝」の実績を引き下げ、山田勝己は初めてSASUKEのスタート台に立ちます。
1stステージは軽やかな身のこなしでエリアを攻略していき、無事クリア。
続く2ndステージは、中盤エリア・5連ハンマーでバランスを崩してリタイア。
当時はバラエティ色の強かったSASUKE。
山田勝己も第1回大会については、気軽に参加していたといいます。
実際リタイア直後は苦笑い程度で、そこまで悔しそうではありませんでした。
そんな山田勝己に火をつけたのは、翌第2回大会のことです。
第2回大会も2ndステージでリタイア→自宅に自作のセットを制作
1998年、第2回大会。
「今回は完全制覇して、200万円ゲットしたる」と意気込み、臨んだ山田勝己。
前回同様、1stステージはクリアし、2ndステージに進出。
ところが、2ndステージはスパイダークライムで足をすべらせ脱落。
2大会連続、同じステージで敗退となってしまったのです。
この敗北が、山田勝己の内なる闘争心に火をつけてしまいます。
「悔しい…」
あまりの悔しさに、山田勝己はとんでもない行動に出ます。
なんと自宅に、自作のスパイダーウォークのセットを制作したのです!
今でこそ、SASUKE選手もあたりまえのように行っているセットの制作。
そのパイオニアは、実は山田勝己だったのです。
当時はまだバラエティ色の強かったSASUKE。
しかし山田勝己の存在により、番組は徐々にテイストが変わってきます。
第3回大会は初のファイナルステージ進出→完全制覇まであと30cmにせまる
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
1999年春、第3回大会。
山田勝己が今大会にかける思いは尋常ではありません。
自宅でセット練習をしているうちに、「SASUKEは体重が重いと不利」であることに気づいた山田勝己。
なんと80kg→65kgと、大会に向けて15kgも減量したのです。
周りからは本気で病気を疑われるほどの変わりよう。
この並々ならぬ努力が、ようやく今大会報われます。
1stステージは順当にクリア。
因縁の2ndステージへ進出します。
そして2ndステージ。
セット練習の成果もあり、スパイダーウォークを楽々突破。
その後のエリアも順当に攻略し、余裕をもってクリア。
初の3rdステージ進出を決めました。
初挑戦の3rdステージもエリアを次々と攻略。
最終エリア・パイプスライダーも、独自に編み出した順手・逆手持ちで突破。
見事3rdステージをクリアし、一気にファイナルステージまで駒を進めたのです。
そしてファイナルステージ、15mの綱のぼり。
前半は順調なペースで登っていきます。
しかし徐々にペースダウンしていき、終盤はほとんど動けず。
結局あと30cmのところでタイムアップ。
あと一歩のところで、完全制覇を逃してしまったのです。
ただ、過去出場選手の中で、ファイナルステージのクリアボタンに最も近づいた山田勝己。
「完全制覇に最も近い男」と呼ばれるようになります。
そして今大会、あとわずか30cmで完全制覇を逃したことが、山田勝己の闘争心にさらに火をつけることになるのです。
第4回大会に向けて、クレーン車を借りて綱のぼりの練習
ンンン???まあ山田勝己だからクレーンの可動範囲に入ってロープ垂らして登ってヨシ!!! pic.twitter.com/8JAKLT9yw2
— しあ (@r_4x) December 28, 2021
第3回大会で、惜しくも完全制覇を逃した山田勝己。
第4回大会では完全制覇を達成するべく、山田は異常な行動に出ます。
なんと知人からクレーン車を借り、綱のぼりのトレーニングをするのです!
しかも命綱なしで。
ちなみに命綱をつけない理由は、「命綱という保険かけてるようじゃSASUKEはクリアできない」からだそう。
全く意味がわかりません。
さすがに現在のSASUKE選手でも、ここまでする人はいません(笑)
第4回大会は3rdステージ新エリアでリタイア
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
迎えた1999年秋、第4回大会。
「今度こそ完全制覇を」と臨むのですが…
1st・2ndステージは危なげなくクリア。
3rdステージに進みます。
しかし3rdステージは一転、苦戦をしいられます。
序盤エリア・プロペラうんていで、タイミングが合わず腕力を消耗。
さらに今大会より、のちの名物エリア・クリフハンガーが新設。
初挑戦かつ腕力を消耗していることもあり、クリフハンガーの中盤で力尽きてしまいました。
完全制覇できる準備はしてきただけに、悔しがる山田。
しかし、彼にさらに追い打ちをかける出来事が。
なんと今大会、盟友の秋山和彦がSASUKE史上初の完全制覇を成し遂げたのです。
「なんで俺じゃないねん」
山田はライバルの偉業を、素直には喜べなかったそう。
秋山に先を越されたことで、山田勝己の完全制覇への想いはさらに強まっていきます。
トレーニングにのめりこみ過ぎて会社からリストラされる
第4回大会後、完全制覇に向けて山田勝己のトレーニング量は日に日に増していきます。
そしてついには、仕事中にもトレーニングをするように。
当時ボンベ配送業の会社に勤めていた山田。
会社からは、仕事中にトレーニングをしないよう、何度も注意を受けます。
それでも仕事中のトレーニングをやめなかった山田勝己。
とうとう、会社からリストラを宣告されてしまったのです。
第6回大会は3rdステージ・パイプスライダーでゴールマットの横から転落
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
第5回大会では、2ndステージで敗退となってしまった山田勝己。
雪辱を晴らすべく、2000年秋の第6回大会に臨みます。
1st・2ndステージは問題なく突破。
3rdステージも序盤・中盤エリアを順調にクリアし、最終エリア・パイプスライダーへ。
パイプスライダーの終点へ到着。
体を振って、飛んだ…
飛距離は十分。
ゴールマットに体が乗り、「ついにファイナルいけるぞ…!」と思ったのもつかの間…
着地後、バランスを崩しマットの横から転倒。
背中から地面にたたき落とされたのです。
悔しさとあまりの痛さに、泣きながら悶絶する山田勝己。
本当にあと一歩だっただけに、観ているこっちも悔しかったのを覚えています。
なお番組側も今回の山田の転落を危険と判断し、今大会以降、マットの横まで池が延長されたそうです。
第7回・8回大会は1stステージリタイア→滝修行を敢行
星谷寺 不動の滝#Nikon #D850 #滝 #徳島県 #徳島カメラ部 #ファインダー越しの私の世界 #不動の滝 #写真撮ってる人と繋がりたい#写真好きな人と繋がりたい
#カメラ男子 #Japan pic.twitter.com/8oqYaLmDyj— (@Flya_Erfahrung) September 22, 2019
第7回・第8回大会と、2大会連続で1stステージ敗退となってしまった山田勝己。
第8回大会後に一時は引退を表明するものの、やはりSASUKEへの情熱は冷め切らず、引退を撤回します。
そして2大会連続でふがいない結果に終わってしまった要因を、以下のように分析します。
「普通にやればクリアできるのに、本番になると失敗してまう。なんでや…」
↓
「本番で力が出せないのは、メンタルが弱いからやな」
↓
「せや、滝に打たれよう!」
そしてまさかのまさか、山田勝己はわざわざ四国の山奥まで、本当に滝修行をしに行きます。
上のツイートの画像が、実際の滝の写真です。
修行僧が利用する、ガチの本格的な滝です。
もう怖くなるくらいの、SASUKEへの異常な熱量…
さすがの常軌を逸した行動の数々から、山田勝己はこう呼ばれるようになります。
「ミスターSASUKE」と。
第9回大会で「ガムテープ事件」を引き起こす
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
2002年春、第9回大会。
3大会ぶりに1stステージをクリアした山田勝己。
2ndステージで、とある事件を引き起こします。
2ndステージの出番前。
他の挑戦者の競技を観ていて、山田はあることに気づきます。
「みんなスパイダーウォークでめっちゃすべってるな…」と。
一度気になりだすと、どんどん不安になってくる山田勝己。
すると突然、意味不明な行動に出ます。
自分の履いている足袋の裏に、ガムテープをはり始めたのです。
「足袋の裏が泥とかで汚れたら、スパイダーウォークですべってしまう」
↓
「スパイダーウォークの手前まではガムテープをはっておいて、スパイダーウォークに着いたらはがそう」
という考えだったそう。
結果、この作戦が大きく裏目に出ます。
スパイダーウォークに到着し、ガムテープをはがそうとしても、なかなかはがれない。
テープをすべてはがすまで、約17秒のタイムロス。
そこから挽回するものの、結局ゴールまであとわずかの地点でタイムアップ。
ガムテープをはっていなければ、確実にクリアできていたのに…
せっかく滝に打たれたのに、またしても精神的な弱さで敗退してしまったのです。
この一連の出来事を、SASUKE界では「ガムテープ事件」と呼んでいます。
第10回大会は3rdステージでリタイア→伝説の名言が飛び出す
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
2002年秋、第10回大会。
今大会、山田勝己は久々に躍動します。
1st・2ndステージを順当にクリア。
4大会ぶりに3rdステージに進出します。
3rdステージも前半・中盤エリアを次々に攻略。
因縁の最終エリア・パイプスライダーにやってきます。
パイプスライダーの終点に到着。
さぁ、今回はゴールマットに着地できるか!?
体を振って…、飛ぶ!
が、飛距離が足りず、そのまま落水。
またしてもファイナルステージまであと一歩、パイプスライダーに阻まれてしまいました。
競技後、実況の古舘伊知郎に「今後どうしますか?」と聞かれた山田勝己。
「これだけは言えることなんですけど…」と言葉をつまらせながら、SASUKE界に残る名言を放ちます。
「俺にはSASUKEしかないんですよ…」
長いSASUKEの歴史の中でも、間違いなくNo.1の名言。
今ではバラエティ番組でこすられ過ぎて、若干ネタみたいな発言になっていますが、当時は多くのSASUKEファンが感動に包まれましたね。うん。
第12回大会で伝説の「手袋事件」を引き起こす
(『山田勝己channel』より)
2003年秋、第12回大会。
2ndステージに進出した山田勝己は、またしても事件を引き起こします。
当時、2ndステージの第1エリア・チェーンリアクションでは、安全のため手袋の着用が義務づけられていました。
そして手袋は、第3エリアのスパイダーウォークまでに外さなければならないルールでした。
しかし山田は、なんと手袋をつけたままスパイダーウォークに突入。
そのままゴールまで突っ走ってしまうのです。
当然、判定は失格。
これが俗にいう「手袋事件」の概要です。
しかし、ここまではあくまで番組で放送された部分のみの話。
実は「手袋事件」には、さらに続きがあるのです。
手袋をつけたままゴール後、失格を言い渡された山田勝己。
すると、「手袋をはずさなければならないとは聞いていたが、失格とは聞いていない」とごね始めます。
番組側もしぶしぶ異議を受け入れ、異例の再挑戦が認められました。
再挑戦は体力があまり残っておらず、全体的にペースダウン。
タイムアップとほぼ同時にボタンを押すものの、白い煙は上がりません。
判定はタイムアップ。
ところが山田、今度は「中指は(ボタンに)触れていた」とごね始めます。
白い煙が上がらない以上、そんなわけないのですが、確たる証拠もありません。
前代未聞の、再々挑戦が認められます。
しかし、3回目でクリアできるほどの体力は当然残っていません。
結局再々挑戦は途中でタイムアップとなり、2ndステージリタイアで終了。
これが山田勝己の「手袋事件」の全容です。
第13回大会以降は1stステージを一度も突破できず→引退・復帰をくり返す
第12回大会では2ndステージに進出した山田勝己。
しかし第13回大会以降、山田勝己が1stステージをクリアすることはありませんでした。
かつて「完全制覇に最も近い男」と言われた姿はどこにもなく、1stステージであっさりと散っていく山田勝己。
新しい有力選手が次々に台頭してくる中で、もはや山田に期待している者などいません。
山田自身も大会で敗退するたびに、何度も「これで最後...」と引退を表明します。
しかし完全制覇への思いを断ち切れず、結局戻ってくる、をくり返します。
傍から見れば、叶うはずのない夢をいつまでも追いかけている中年。
さすがの山田もそろそろケジメをつけなければならないと察したのか、とうとう決断を下します。
第28回大会で正式に引退を表明
(『sasukerising』より)
2012年、第28回大会。
山田勝己は今大会を最後に、正式に引退を決意します。
迎えた1stステージ。
全盛期のような軽やかさはまったくありません。
それでも重い足取りで、懸命に前に進み続けます。
動かない足を必死に動かし、最後は2連そり立つ壁・1つ目の壁を登ったところでタイムアップ。
SASUKEに人生を捧げた男の最後の雄姿に、会場からは惜しみない拍手が送られました。
競技後のインタビューで、山田勝己は現役の選手たちに向け、以下のメッセージを残しています。
「まだまだ若い子に伝えたいことがたくさんあって、もっともっとSASUKE好きになって、もっと練習して、落ちたらもっと悔しがって泣いてくれたらいいと思います。それが俺の願いというか、思う気持ちです。」
ようやくSASUKE引退を表明したミスターSASUKE・山田勝己。
しかし、山田のSASUKE人生はまだまだ終わりません。
引退後に山田軍団「黒虎」を結成
(『sasukerising』より)
第28回大会後。
山田勝己は自分を慕う後輩を集め、山田軍団「黒虎」を結成します。
自分では成し遂げられなかった完全制覇の夢を、弟子たちに託したのです。
引退してもなお、SASUKE完全制覇への思いは途絶えない。
なんという男でしょう…
結成当初はレベルも低く、1stステージでの敗退が続出した黒虎。
しかし現在では、伊佐嘉矩や山本良幸といった、3rdステージ常連選手も育つほどの強豪組織へと進化しています。
※伊佐は2021年に脱退
黒虎のメンバーが完全制覇を達成する日も、そう遠くないのかもしれませんね。
なお、伊佐嘉矩・山本良幸については以下の記事に詳細をまとめているので、よかったら読んでみてください。
『【SASUKE選手紹介】元黒虎・伊佐嘉矩|3大会連続3rdステージ進出の実力者』
参考【SASUKE選手紹介】元黒虎・伊佐嘉矩4大会連続3rdステージ進出の実力者
続きを見る
『【SASUKE選手紹介】山本良幸|完全制覇に挑む黒虎の絶対的エース』
参考【SASUKE選手紹介】山本良幸|完全制覇に挑む黒虎の絶対的エース
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第38回大会で電撃復帰
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
2020年、第38回大会。
黒虎メンバーの活躍に刺激を受けた山田勝己。
なんと一般応募で出場権を獲得し、SASUKEに電撃復帰を果たします。
もちろん動きに軽やかさはありませんが、着実にエリアを攻略していきます。
そして最後は、ドラゴングライダーで山田らしく派手に落水。
当時55歳という年齢を考慮すると、大健闘の結果といえるでしょう。
そして今大会でSASUKEの楽しさに目覚めた山田勝己は、「生涯現役」を宣言したのです。
山田勝己がSASUKEにあたえた影響
最近SASUKEを見始めた視聴者からすると、山田勝己は「ただのSASUKE好きなおもしろおじさん」的存在かもしれません。
しかし断言できます。
「SASUKEが今もなお続いているのは、間違いなく山田勝己のおかげ」だと。
山田がSASUKEにあたえた影響は、大きく以下の2点。
番組のテイストが「人間臭い」モノに変わった
山田勝己に憧れ、多くの有力選手がSASUKEを志した
番組のテイストが「人間臭い」モノに変わった
始まった当初は、ただ大人がアスレチックに挑む番組だったSASUKE。
バラエティ色も強く、何年も続くような番組ではありませんでした。
しかし第2回大会後、自宅にスパイダーウォークのセットを制作し、本気でSASUKEにのめりこむ山田勝己に着目した番組スタッフ。
山田のSASUKEにかける想いを第3回大会の放送に組み込んだところ、番組のテイストが一気に「人間臭い」モノに変わったといいます。
以後、選手一人ひとりの人間ドラマを映し出す番組にシフトチェンジ。
その「人間臭い」テイストが視聴者にハマり、今もなお愛される長寿番組となったのです。
山田勝己に憧れ、多くの有力選手がSASUKEを志した
🎁フォロワー9000人突破 記念写真🎁
SASUKEの歴史を作ってきたお二人と📷✨
SASUKEを始めた頃は、このお二人に挟まれてファイナルの前で写真が撮れるとは思っていませんでした😂
山田さん、長野さんが築いてきたSASUKEの歴史を引き継いでいきます💪✨#SASUKE #サスケくん#山田勝己 #長野誠 pic.twitter.com/pA6K10MMIx
— 森本裕介【サスケくん】SASUKE (@sasukemorimoto) January 21, 2020
山田勝己が番組にあたえた大きな影響の2つ目。
それは山田が「SASUKEに人生をかける」姿に憧れ、数多くの有力選手がSASUKEを志すようになったことです。
有名な例でいうと「長野誠」。
のちに史上2人目の完全制覇を成し遂げる長野がSASUKEを始めたのは、「山田勝己の生きざまに惚れた」から。
最近の選手だと「又地諒」もその1人。
2度のファイナルステージ進出経験のある又地も、小さい頃「SASUKEで山田が活躍している」姿に憧れ、SASUKEを志すようになったのです。
さらにはサスケくんこと「森本裕介」。
2度の完全制覇を成し遂げた森本がSASUKE出場を目指したのも、山田や長野の活躍がきっかけです。
他にも挙げるとキリがないが、数多くの選手が山田勝己きっかけでSASUKEを目指すようになり、今に至ります。
SASUKEにおける山田の影響がいかに大きいか、ご理解いただけたでしょうか?
なお、又地諒・森本裕介については、以下の記事でも詳細を解説しているので、よかったら参考にしてください。
『【SASUKE選手紹介】又地諒|三度目のファイナルを目指す男のSASUKE人生』
参考【SASUKE選手紹介】又地諒|三度目のファイナルを目指す男のSASUKE人生
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『【SASUKE選手紹介】森本裕介|3度目の完全制覇を目指すサスケくん』
参考【SASUKE選手紹介】森本裕介|3度目の完全制覇を目指すサスケくん
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山田勝己のSASUKE2022結果はいかに!?
(番組公式YouTubeチャンネル『SASUKE Ninja Warrior【TBS公式】』より)
SASUKE2022に出場するミスターSASUKE・山田勝己。
目標はもちろん「1stステージクリア」です。
山田が最後に1stステージをクリアしてから、はや19年。
現在でも1stステージ突破を1度もあきらめたことはないそうです。
山田勝己は言います。
「今、絶好調だ」と。
さすがに57歳という年齢を考えると、正直1stステージクリアはキツイとは思います。
しかし山田勝己が頑張っている姿を観るだけで、昔からのSASUKEファンは元気が出るのです。
とにかく、いけるところまでいってほしいですね!
まとめ
今回は、ミスターSASUKE・「山田勝己」について紹介しました。
山田勝己は、2022年12月27日(火)放送の「SASUKE2022」に出場。(ゼッケン3996)
今年で57歳となった山田勝己。
我々SASUKEファンに元気を与えるような結果を残すことができるのか!?
なお番組には、山田勝己以外にも見どころのある選手が多数出場。
ぜひ一緒にSASUKE2022を楽しみましょう!
以上!
(追記)SASUKE2022結果速報
万全のコンディションで迎えたSASUKE2022でしたが...
山田勝己の結果は、1stステージ・フィッシュボーンでリタイア。
入るタイミングを完全にミスって落水という、やや不甲斐ない結果に終わりました。
この悔しさは次回、ぜひ晴らしていただきたいです。